"情報を着る"という事
今回は表題通り、"情報を着る"という事について考えてみたいと思います。
段々と気温が上がり、街中には半袖で歩いている人がほとんどとなってきました。
私服の人はTシャツを着ている人が多く、無地だったりプリントだったりと様々です。
昨今のTシャツはブランド毎によって価格帯がバラバラで、数百円から数万円ととても価格差がありますね。
ユニクロのような量販店の1,000円のTシャツでも、気持ちの良いびっくりするほど高品質なものが売られていて、10,000円前後するようなブランドのTシャツにも引けをとらなくなっています。
Tシャツは暑い時期に着て着たら毎回洗濯するもので、消耗品になっていくことがほとんどです。
ではTシャツが10,000円前後するようなブランドがユニクロに勝てるポイントや買う人のメリットって何なのでしょうか?
一般消費者からしたら消耗品のTシャツに10,000円かけるなんて馬鹿くさい、もったいないとも思っている方が多いと思います。
私もその中の一人であるとも言えます。一部の個人的に好きなブランドを除いては。
ブランドは質の高い製品を安価で販売する量販店に唯一勝てるポイント、それはブランド自体の思想しかありません。
各々が持つ哲学や思想を如何にTシャツというフォーマットで表現できるか。
例えばそれがプリントや刺繍でビジュアルとして表現されていたり、素材の使い方や縫製をどうするかといった製品の作り方のプロセスによってだったり。
前者は他者からもわかりやすく、全面に「BALENCIAGA」や「supreme」といった旬なブランドのロゴが入ったものを着ていると、自己満足感と他者からの承認欲求が満たされるような気がして、被着用者はそれが心地良いと思ってそういうものを着るのでしょう。
わかりやすく言えばバンドTが一番わかりやすいですよね。
ライブに行ってそのバンドのTシャツを着ていることが他者に対しての「そのバンドのファンです」という主張であり、そのライブだけの短い時間限定だけのコミュニティ内に入っているという満足感も得られるのでしょう。
細かく言えばそのライブ間の短時間のコミュニティ内でも、同じバンドのTシャツでもその日物販で売られているようなものではなく、希少だったり古い時期のTシャツであれば尚更だと思います。
後者の素材や縫製によってというものはほとんど他者には判断がつきませんが、素材や縫製といった製品自体の質や機能性が気に入って着用している等、モノを見て選んだとすればファッションとして捉えずに、生活の道具として捉えたケースも多いと思いますので今回はこの点には言及しません。
服に限らず、全ての買い物に共通しているのですが、私たちは自ら進んで「情報」にお金を払って生きています。
「このブランドだから。」
「コットンが上質なコットンで旧い吊り編機を用いて何ちゃらかんちゃらだから。」
全く否定はしません。むしろ肯定的です。
私も同じ感じで選んでいることがほとんどだっと思います。
ブランドだからというバイアスがかった色眼鏡をかけてしまっていても、それが道を歩いた時にたまたま誰かに影響を与えている時もある。
同じ好みの人とすれ違った時に、そのTシャツを着ていた事によって声をかけられたり。
文化の伝播や人とのポジティブな繋がりが起こればどういった軽薄な経緯でも、それは結果的に素晴らしい。
ただ私が個人的に重要視しているのは、
その選んだものは本当に自分で選んだものか、それともメディアやトレンドによって選ばされたものなのか
そして自分が選んだとすればその思慮判断はどこまで思考が深く潜れたのか
ここのみです。
自分が本当に納得してこのブランドやバンドの活動を応援したい(ここ大事だと思います)、少しでもその思想に近づきたいという前向きな理由があればそれは少し多めにお金を払ったとしても着るべきだと思います。
そこに品質が伴っていれば尚、私たち消費者側は納得してお金を払いたいと思います(ニッコリ)。
それが私がこの1,000円のTシャツではなく10,000円のTシャツに9,000円の差額を払って"情報を着る"ということの問いかけの答えにしたいと思います。
そういえば以前も同じような内容のことでブログ書いてますね。。
でもねでもね、以前と少し違うとすればこの考えをずっと突き詰めていくと堅物な頭になっていく危険性があると思ってきました。
やはりいつまでも遊び心といい意味でのミーハーさは失わずに、自身にとって心地のいいバランスが取れた考え方をしていきたいものです。
さてさて衆院選(じゃなくて参院選でした。。思いっきり間違えました笑)の公示が行われましたね。
メディアはトレンドのように情報を操作して、権力のある方にバイアスをかけているかもしれません。
前述した"操作された情報を着る"のではなく、"自身が本当に納得した情報を着る"ように、自分の頭で考え、判断するということを少しずつやっていきたいと思っています。
自身を含めた周りや可能ならば社会全体のこれから少し先の未来が楽しくなるように、前向きな投票を行おうと思っています。
それではまた。