仕事について2 「仕事ってなんだろう」
こんにちは。
昨日は秋田で春一番っぽい風が吹いていました。
春一番っていう言葉がそもそもいいですよね。
心がくすぐったくなるような、ウキウキするような。
そういえば昔住んでいた高円寺に味二番っていう中華屋があったんですが、何に忖度して一番じゃなく二番なんだろうなと感じていたのを思い出しました。
そんな前口上はいいとして、先日はアパレルを取り巻く問題から当店においての、これからの仕事のやり方についてお話しましたが、こんな事ばかり考えてたら「仕事ってなんだろう」とも考えてきました。20代前半か。今の私にはモラトリアムなんてないぞ。
前回に限って言えば"モノ売り"としての視点での”仕事”。
実は私は当店以外にも看板屋として、相方の林はフォトグラファーやディレクション業を営んでいます。
私たちはそんな二足の草鞋を履きながらここでモノを売っています。
昨今は副業や兼業を奨励するような風潮もあり、割と異業種の仕事を兼業している方も増えたのではないでしょうか。
個人の特性や経歴を最大限活かすなら、そんな働き方になるのは極めて自然な流れだと思います。
しかし実際それ一本でやっている職人さんからすると、私のような人間はあまり受け入れにくいでしょう。
同じ現場に入った時などに中途半端なイメージを持たれます。
その気持ちも十分わかるんですが、私としてはどちらも遊びでやっているわけじゃないので頭のスイッチを完全に切り替えるように、意識的に脳内スイッチを入れ替えています。
今現在一番わかりやすい例えとして思いつくのが、ファブルのあれのような感じです。
これです。
わかる人にしかわからないかもですが。
なので二足の草鞋を履いていたとしても心意気(だけ)と仕事の向かい方は一丁前にプライドを持って仕事をしています。
現場に入った時は店のことは一切頭にないです。
人格もうろの店頭に立っている時とは違うと思います。
本気です。
うん、仕事の大事なとこって結局それですね。心意気があるかどうか。
普段生活していて、あらゆる職業で嫌々やってる人の仕事にはなるべく関わりたくないなあと思います。
私は心意気がある人の仕事に対してしか評価できない。
例え技術は無くても誇りや心意気のある人の仕事が私は大好きです。
その気持ちさえあれば技術なんてものはその時は無くてもいつか必ずついてくると思っています。
だから私もそうなりたいだけ。
今回もまた結局当たり前のことなんですが、当たり前の本当の意味に気付くまでに40年かかりましたよ。長いよ。
そして、
"モノ売り"として"仕事人"として、”仕事”を行なって一人の"生活者"としてコミュニティや社会から必要とされる存在になる。
そのままいつか老いて死ぬ。
つまり「仕事とはなんだろう」の答えは"生活者の営みと心意気"と結論。
この結論も普通に当たり前すぎることではありますがいやいや、軽くないっすわ。しみじみ思いますね。おっさんになってくると。
そんなこんなでいつも通りやっぱりくどい内容で、自分で言うのもあれですが色々な仕事や経歴の人間が営む心意気のある店、単純に面白そうじゃないです?
衣類や道具を扱いながら建築や写真、文化的な嗜好など多角的な目線から商品やサービスを提案する。
その中で当店に来ていただいて看板のことや企業で必要な写真のことで相談したいとか、そんな営業方法があっても面白いですよね。
そしてそして、そんな個人の考えや辿ってきた経歴の違いが表に出やすいのも個人商店の面白みだと思います。
ハマる人はハマり、ハマらない人はハマらない。
それで十分いいじゃない。
だから服や民藝のお品以外のことも色々気軽に相談してね!
できる範囲で協力しますよ!
今回は仕事という内容に沿って私自身の思考の整理も兼ね、こんなところに着地しましたが次回も関連した内容で書こうと思います。